四国お遍路&仁王行脚 讃岐編その3

徳島をスタートしてから二週間が経ちました。四国行脚14日目は天気が良かったので前日のスローペースを取り戻すべく朝イチから夕暮れ時まで回りました。沢山回っていますので三部作でお届けします。まず前編から。

四国八十八箇所 75番誕生院善通寺
京都の東寺、和歌山の高野山と並んで真言宗三大霊跡の善通寺。真言宗善通寺派の総本山です。広大な敷地は「伽藍」と称される東院、「誕生院」と称される西院の東西二院に分かれており、御影堂を中心とする「誕生院」は、お大師さまが御誕生された佐伯家の邸宅跡にあたり、ともに弘法大師御誕生所としての由縁を今に伝えています。
立派な仁王門。
010zentsuji_niohmon.jpg
仁王さんはこれまで寺院再建時の江戸時代前期の作だと考えられていましたが、2014年の展覧会出展の際に行われた調査で南北朝時代応安三年(1370)の造像であることが判明しました。
012zentsuji_un.jpg 013zentsuji_a1.jpg
絵になる仁王さんです。
011zentsuji_a.jpg
015zentsuji_un1.jpg
シンボルの五重塔は何度となく倒壊・焼失を繰り返してきたそうで現在の塔は明治35年に完成したものだそうです。
016zentsuji_gojunotou.jpg
修行大師像も一味違います。
014zentsuji_kobo.jpg

四国八十八箇所 76番金倉寺
金倉寺は、弘法大師の甥で天台宗寺門派の開祖智証大師が誕生した地だそうです。よってこのお寺は真言宗ではなく天台宗寺門派。縁起によると創建は宝亀5年(774)、弘法大師さま誕生の年に和気道善(わけのどうぜん)が等身の如意輪観音像を刻み、 一堂を建立してお祀りしたことに始まります。このお堂は自在王堂と名付けられ、道善の子である宅成(やかなり)によって道善寺と改められました。
その後智証大師が唐から帰国後伽藍を造営し、延長6年(928)醍醐天皇の勅により地元である金倉の郷名をとって金倉寺と改められたそうです。
022konzoji_niohmon.jpg
仁王さんは江戸時代の作でしょうか。
021konzoji_un1.jpg 020konzoji_a1.jpg
土門撮り。
023konzoji_a2.jpg

厄除け仁王 安楽寺(丸亀市)
「厄除け仁王」「弘法大師作」という情報を得て、うどんを啜ることも忘れて向かいました。
030anrakuji_niohmon.jpg
石造の仁王さんは弘法大師が刻まれたとされているそうです。
言い伝えでは長和3年3月頃善通寺の弘法大師真筆の額を盗みとり帰る者があり、安楽寺の仁王さんが盗人の後を追い鵜足郡坂本の峠で取り返したそうで、その故事によりその峠を額とりの坂といい額坂と呼ぶようになったそうです。またの名を「額とりの仁王」とも言われているとか。
031anrakuji_a.jpg阿形さん
吽形さん032anrakuji_un.jpg

四国八十八箇所 77番道隆寺
縁起によると、和銅5年この地方の領主和気道隆公が桑の大木を切り、小さな薬師如来像を彫造し草堂を建てたのがはじまりとされています。
道隆公は、周囲5メートル近い桑の大木が夜ごと妖しい光を放っているのを見た。この光を怪しみ矢を射ると、女の悲鳴があり乳母が倒れて死んでいたそうです。嘆き悲しんだ道隆公はその桑の木で仏像を彫り草堂に安置して供養すると、乳母は生き返ったという不思議なエピソードが言い伝えられています。
040doryuji_niohmon.jpg
目が真っ黒な仁王さん。
041doryuji_a.jpg阿形さん
吽形さん042doryuji_un.jpg
修行大師の前で跪いているのはだれでしょう。
043doryuji_daishi.jpg

14日目の中編に続きます。

826_1map.jpg

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中