四国お遍路&仁王行脚 讃岐編その2

四国行脚13日目。この日は九州から中国地方にかけ台風が接近しており、天候を見つつのスローペースの巡礼でした。

四国八十八箇所 70番本山寺(もとやまじ)
八十八箇所中唯一の馬頭観音が本尊の本山寺。本堂が国宝に指定されています。
本山寺のシンボル五重塔は明治43年、住職の頼富実毅(よりとみじっき)が再建。盲目だった実毅は五十九番国分寺を巡礼後目が見えるようになり、その恩に報いるため堂宇の復興に意欲を燃やしたのだそうです。
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仁王門は重要文化財に指定されています。組物、肘木、虹梁、冠木などに和様を主体として唐様や天竺様式を組み合わせ、全国でもほかに例のない、美しくどっしりとした構えの八脚門です。
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中の仁王さんも鎌倉時代の仁王さんでしょうか。県文です。
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二度目の対面。
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吉祥院(三豊市仁尾町)
虚空蔵菩薩を本尊とする真言宗の寺院。仁尾町という町の名前がいいですね。
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こちらには仁尾町指定文化財の南北朝時代の仁王さんがいらっしゃるというのでワクワクして向かいました。
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こちらがその仁王さん。やや朽ちていますが雰囲気のある仁王さんです。
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いいお顔です。
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四国八十八箇所 71番弥谷寺(いやだにじ)
日本三大霊場(青森の恐山、大分の臼杵磨崖仏)のひとつと言われている弥谷山の霊場。弘法大師が9~12歳の頃、この岩屋にて修学(学問)に励まれたといわれている獅子之岩屋という洞窟があります。
大師堂・本堂は仁王門から石段を370段上がったところにあります。前回来た時は仁王門で引き返しました(←おいっ)が、今回は四国八十八箇所巡礼も兼ねていますのでちゃんとお詣りしました。
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弥谷寺の仁王さんは愛媛県の仁王群生地・西条市出身の仏師近藤泰山の遺作です。
「昭和9年契約をするがその後戦争悪化の為中断。昭和25年に再契約する。27年に入りよく寝込むようになり、医者から手術をすれば助かると言われたそうだが、佛師ゆえ親に貰った体には傷を付けられないと手術は断わったそうだ。この仁王像は彩色仕上げとの注文であったが、病気の体を押し下地の胡粉まで塗ったところで体が持たず、仕上げの彩色を残し観音寺の職人に引き渡された。トラックの荷台に積み込まれた仁王像を、大きな数珠を首にかけお経を唱えながら手を合わせ、見えなくなるまで見送ったそうである」
泰山師は胃癌だったそうで昭和27年10月29日に60歳で永眠しました。
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文字通り魂を込めて作り上げた仁王さんなのですね。
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四国八十八箇所 72番曼荼羅寺
縁起によると、創建は四国霊場で最も古い推古四年(596)。讃岐の領主・佐伯家の氏寺として創建され、初め「世坂寺(よさかでら)」と称していました。弘法大師がこの寺を訪れたのは唐から帰朝した翌年のこと。亡き母玉依御前の冥福を祈るためだったともいわれています。唐の青龍寺にならって伽藍を三年がかりで建立。本尊に大日如来を祀り、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置し、寺名を「曼荼羅寺」に改めたとのことです。

仁王さんは新しいもので横浜市鶴見区總持寺(曹洞宗大本山)のコピーモデル「曹洞ファミリー」です。真言宗寺院がほとんどの八十八箇所でも何度か見かけましたので、すっかり現代の仁王像のスタンダードタイプとなったようですね。
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かつては空海さんが植えたといわれる「不老松」通称笠松がこのお寺の名物だったそうです。
その松は2002年に虫食いによって残念ながら枯れてしまい伐採されましたが、その幹部にお大師さんを彫り込み「笠松大師」として祀られています。
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四国八十八箇所 73番出釈迦寺(しゅっしゃかじ)
弘法大師幼少期の数ある伝説のひとつ「捨身ヶ嶽」縁起。
それは、弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時。我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じました。すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめました。
命を救われ、願いが叶うことを示された弘法大師は、青年になって我拝師山の山頂で虚空蔵菩薩像を刻んで安置し、堂宇を建てたといいます。この場所は「捨身ヶ嶽禅定」といわれ元は札所でしたが、今は寺の奥の院となり、境内から急坂を50分ほど上がった場所にあります。弘法大師が虚空蔵菩薩の真言を100万回唱える「求聞持法」を修めたことから「求聞持院」という院号がつきました。ここで拝むとすばらしい記憶力が得られ、学業成就や物忘れにご利益があるといわれています。
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捨身ヶ嶽遥拝所から。僕はあそこまでお詣りしておりませんので記憶力が悪いままです。
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この日の打ち納め。
四国八十八箇所 74番甲山寺(こうやまじ)
幼少の頃よく遊んでいたというこの地に弘法大師は伽藍を建立する霊地を探していました。すると麓の岩窟より聖者を名乗る老人が現れ毘沙門天を祀るように言ったそうです。その言葉通り弘法大師は毘沙門天像を彫り岩窟に祀り霊場としたとのことです。
山の形が毘沙門天の鎧、兜の形に似ていることから「甲山寺」と名づけられました。
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龍の木鼻。
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天候が心配でしたがそれでも6箇所行脚できました。
四国行脚14日目に続きます。
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