四国お遍路&仁王行脚 伊予編その3

四国行脚9日目の後半戦です。この日は8ヵ寺打っていますが非常に仁王さんの豊作の日でした。
では後半、松山市内のかたまった札所を見ていきましょう。

四国八十八箇所 48番西林寺
縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の天平13年、行基菩薩が勅願により伊予に入り、国司、越智玉純公とともに一宮別当寺として堂宇を建立したのがはじまりだそうです。
仁王門は江戸時代末期に再建されたもの。
501sairinji_sanmon
中の仁王さんは顔が大きくて迫力があります。
502sairinji_a.jpg阿形さん。
吽形さん。502sairinji_un

四国八十八箇所 49番浄土寺
重文の空也上人像が本堂内に安置されていて名前も浄土寺なのでまるで浄土宗系の寺院のようですが、弘法大師の頃より真言宗のお寺です。

仁王さんは一見新しそうにも見えますが近年の補修によるもの。室町時代辺りの作で慶派仏師の作だそう。
601jodoji_a2.jpg
以前は阿形さんに目の玉が無かったそうです。というのは博打を打ちに来た悪い奴が目が出るようにと目玉を取ってしまったからだそうで、現在は修復されてちゃんと玉眼が入っています。良かったですね。
601jodoji_a1.jpg
吽形さんもナチュラルマッチョなスタイル。
601jodoji_un2.jpg
折り鶴や草鞋の奉納も沢山あって人気者のようです。
601jodoji_un1.jpg

四国八十八箇所 50番繁多寺
こちらは、踊り念仏で有名な時宗の開祖・一遍上人(1239〜89)が青年期に、太宰府から伊予に帰郷した際、参籠して修行し、晩年に『浄土三部経』を奉納しているとのことでやはり真言宗の霊場の中では異色なお寺です。
701hantaji
仁王さんはいません。
702hantaji
修行大師像はありました。
702hantaji_kobo.jpg

四国八十八箇所 51番石手寺
はじめは安養寺であったのが石手寺となったのには次のような逸話があります。

道後湯築城主・河野息利に男の子が生まれましたが、この子は生後3年経っても左手が開きませんでした。
両親は悩んだ末に安養寺の住職に加持を頼みました。
祈祷によりやっと開いた左手の掌から小石が転がり落ちました。
その小石に「衛門三郎再来」という文字がありました。
衛門三郎というのはお遍路のはじまりとされる四国中弘法大師を追いかけ回したあの人。
そこで寺名を石手寺に改めたということです。
寛平4年(892年)のことです。

仁王門は国宝で鎌倉時代の文保2年(1318)に河野通継の寄進によるものです。
801ishiteji_sanmon
大草鞋もかかっています。
801ishiteji_waraji
賽銭箱的な役割もあるようです。1円玉ばかりのようですが。
801ishiteji_waraji2.jpg
仁王さんも同じく鎌倉時代の作で運慶が作ったとも言われています。
802ishiteji_a.jpg
運慶作にしてはやや大作りな感も否めませんが、まあそのくらい出来が良いということの表現として運慶が引っ張りだされているのでしょう。仁王業界ではよくあることです。
802ishiteji_un
せっかくなので土門撮りっと。
802ishiteji_a2.jpg

というわけで8ヵ寺中5ヵ寺に仁王さん(しかもどこもなかなかの秀作)がいるという濃い1日でした。
やっぱり伊予はスゴイです。

四国行脚10日目に続きます。

821_2map.jpg

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中