歴史ロマンのある石造仁王さんのお話

金沢宝円寺の仁王講座でもお話しした歴史ロマンの話。これ、だいぶロマンのあるお話ですよ。

金沢の街中に今枝仁王尊と呼ばれる一体の石仏仁王さんが祀られています。
先日久しぶりに会って来ました。
今枝仁王尊1
身の丈1mちょい位の吽形さんの像です。

そして一方、我が故郷滋賀県には竜王町に一体の阿形さんの像が祀られています。こちらもまた同じくらいの大きさの石仏です。
竜王仁王尊1

この時点で察しのいい方は、ははーんと思われることでしょう。

この説はまだ誰も唱えていません。
僕の見立てではどうやらこの二体の阿吽の像は元々ペアだったのではないかと思うのです。

ストーリーはこうです。
まず今枝仁王尊ですが、今枝直恒という加賀藩の前田利長に仕えた家臣の守護仏だったと文献に残っています。

この今枝氏は加賀藩の家臣に養子として来る前は姓を日置(へき)と名乗っており、父日置忠勝は岐阜の大垣城城主池田氏に仕えた家老でした。

そしてその父親が二人の息子に対であった仁王尊をそれぞれ分け与えたのだそうです。
そのひとつが今枝仁王尊なのですが、実はもう片方が行方不明だと文献に残っているのです。

ちなみにもうひとりの分け与えたとされる兄日置忠俊はその後岡山藩の家臣となっています。

元々岐阜にあったものがひとつは金沢へ、もうひとつは岡山へ。
しかし何かしらの事情があり、岡山への道中の滋賀で置き去りになった。。。

あり得ない話ではないと思いませんか?

湖東に位置する竜王町は岐阜から岡山へ行くまさに通り道ですし、その頃信長が暗殺された数年後で徹底的に焼き討ちされた寺院が荒廃から復興へ動いていた時代です。何十キロもある石像を連れて長旅をするより、手近な寺院に奉納する選択をしたとすれば、辻褄が合います。

一方の滋賀県竜王町の仁王像はかつてあった西光寺の跡地に祀られているため西光寺の像であろうとされていますが、出どころは全くの謎なんです。吽形像は山崩れで地中に埋まっていると言い伝えられていますがどこにも証拠はありません。

造形を見てみますとこれも対であった事を裏付けるかのように様々な共通点が見られます。
imaedaryuoh
・像高が同じ位
・石の素材も同じ感じ
・目、眉、鼻、耳、頬の形がよく似ている
・ポーズが左右対称になっている
・天衣の表現が同じ
・髻(もとどり:まげの部分)が酷似(特に髪結いの紐の部分)
・首筋の表現が似ている

見れば見るほど似ていますよね。

そもそも石仏の仁王像は九州や秋田を除いて非常に数が少ない上にこれ程の共通点があるというのは偶然にしては出来すぎています。

年に1回しか御開帳しない阿形像のあの赤い前掛けをめくって確かめる事ができれば全てが氷解するハズです。来年行ってみよう。

もしこれがペアであった事が判明すれば、ちょっとした歴史のページが書き加えられるわけです。
その時は渡仁が言い出しっぺであった事を皆さんが証人になって下さいね。
imaedaryuoh2
ここに証拠を残しておきます。
以上ロマンのあるお話でした。

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