鹿児島仁王行脚その4

鹿児島仁王行脚まだ3日目ですよ、ついて来て下さいね。

3日目は薩摩川内(せんだい)市を皮切りに阿久根市→出水(いずみ)市→さつま町→伊佐市と鹿児島北西部を行脚していきます。
この日はだいぶ頑張って19ヵ所20組の仁王さんに会っておりますのでやはり二部構成でお贈りします。

《薩摩川内市 昌了寺跡》
民家が建ち並ぶ地区の小道を案内板に従って入って行くと、墓地の脇にお地蔵さんを真ん中にして仁王さんが立ってらっしゃいます。
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ウルトラ立ちとは少し異なりますが完成された様式の「鹿児島Bタイプ」の仁王さんの流れを汲む作です。
案内板には『然芳山昌了寺は寛永十四年(1637)八月、時の入来領主十六代重高が、その夫人の位牌所として建立した浄土宗の寺院でした。この寺の山門の両側に立っていたのがこの仁王石像ですが、製作者は本町山之口の大重諸左衛門という石工でした。〈中略〉この石像彫刻の費用を寄進した人は、麓町の山下藤兵衛・蓬原甚太夫の二人で、仁王像造立は寛保二年(1742)八月二十一日でした。この寺院は慶應四年(1868)九月七日に廃寺となりましたが、この仁王さまだけは村人の手で大事に守られてきたのでした。』とのことで、仏師(石工)の名前と製作年代が明らかになりました。
前回ブログで紹介しました日置市の稲荷神社の「完全体Bタイプ」が1715年に作られていることからおおよそ16世紀前半から中頃にこの地方で活躍した仏師の系列の仁王像がBタイプだとすることができそうです。

《薩摩川内市 寿昌寺跡》
上半身のみの仁王さんが朝日に照らされて安置されていました。
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案内板によると『この仁王像は下半身がありません。ある人が切り取って石臼を作ったためで、その人は後に仏罰を受け歩けなくなったそうです』とのこと。ああおそろしや。

《薩摩川内市 福昌寺》
福昌寺は元は鹿児島市内にあった永平寺直轄の大寺院だそうですが、廃仏毀釈の標的となり廃絶、明治31年京都から来た僧によりこの地に再建されたそうです。
仁王さんは再建時に作ったのではなく埋めてあったものを掘り出して運んできて安置したのだそう。
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市内最大の仁王像で市の指定文化財。
吽形さんは余裕の笑みを浮かべてらっしゃいます。
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《阿久根市 大日寺》
単立の寺院。名前からすると真言宗から独立したと推察できますが。
参道の真ん中辺りに腰蓑を着けニッコリ笑った仁王さんが立っておいでです。
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この片手をちょいと上げた大作りな仁王さんを「鹿児島Aタイプ」と呼ぶことにしたというのは前々回のブログで書きましたが、裏側の文字を読むと寛文六年(1666)の文字があり、洗練された「鹿児島Bタイプ」よりも半世紀ほど遡る事が判りました。
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素朴な像ほど古く、ある時写実的な像を作る一派が現れてそれ以降それを模倣するフォロワーが続くという図式は平安時代~鎌倉時代の仏像の歴史の縮図のようで面白いですね。

《出水市 感応禅寺》
建久五年(1194)島津家菩提寺として初代忠久公によって創建され開山として栄西禅師をむかえた日本最初の禅寺だそうでそれは歴史のあるお寺さんです。
が、やはり廃仏毀釈の波には逆らえず、一時廃寺になったそうです。
こちらには仁王さんが二組いらしゃって、奥の建物の前に小ぶりな仁王さんと、
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境内入り口に立派なBタイプの仁王さんが。
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例によってウルトラ立ちです。
裳の背面に寛延四年(1751)とありました。やはり16世紀中頃の像です。
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《出水市 大日の仁王》
感応寺から南に少し下ったところの大日地区の辻に立っているこれまた「Bタイプ」の仁王さん。
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案内板には『この仁王像は永林寺にあったもので廃寺後ここに安置されたと言われる。永林寺は感応寺末寺でこの近くにあったが、明治初年の神仏分離令のあと廃寺となった。〈中略〉この像は宝暦2年(1751年)の建立で、感応寺の仁王像より1年おそい』とのこと。
宝暦2年は1752年の間違いでは?寛延4年が宝暦元年なので。

少し歩いたところには永林寺跡があり、お地蔵さんと石塔がありました。
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《出水市 洞亀寺跡》
かなり傷んでいますがこちらもBタイプ。洞亀寺跡の仁王さん。
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この洞亀寺跡は磨崖仏の方が有名らしく、あぜ道を通って山裾まで行くとお堂の脇の崖に小さなお地蔵さんの磨崖仏がありました。
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《出水市 龍光寺》
こちらのお寺さんにはタイプの異なる二組の仁王さんがいらっしゃいました。
大作りなAタイプ系の像と
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Bタイプ系の像が並んで混在です。
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大体下半身の後ろ側に文字が刻まれているので上半身のみでは年代等がわかりません。

こちらももうなんだかわからなくなっていますが仁王さんかな?
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というわけで今回は仁王像の様式と製作年代を考察するちょっとディープなブログでございました。
次回は3日目の後半です。
まだまだ続きますよ。

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