屋久島仁王行脚

1月6日7日

毎年1月には九州に行くというルールのもと、今年は九州最後の未踏の地、鹿児島県へ仁王行脚に行きました。

この際だからということで飛行機を乗り継ぎ、初日から屋久島へ渡ります。
眼下に見えるは噴火目前の桜島です。
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初日はほぼ移動だけで、宿に着いたのは夕方。
目的の益救(やく)神社のすぐ近くに宿を取ったので、もう暗くなっていましたがロケハンついでにまずは神社へ。
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社殿にカメラを構えた瞬間、無人の社殿の内部の真ん中辺りがフワッと明るくなりました。
なんだったんでしょうか。
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夜、宮之浦付近を散策。宮之浦大橋から見えたイルミネーション。
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翌日、日の出とともに撮影開始。
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なにしろ屋久島は一泊の予定なので夕方のジェットフォイルの時間までにスケジュールを消化しないといけません。

《益救神社》

仁王さんは境内の左手に紅白の前掛けを着けて並んで立っています。
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案内板によると
『「天保二年辛卯二月吉日、奉寄進 宮之浦住、近藤濱市 右嫡子市助」と刻銘があり、
天保二年(1832)に益救神社に寄進されたものと考えられます』
とのこと。

阿形さんの顔の傷は刀傷でしょうか。明治の廃仏毀釈の際は村人が穴に埋めて難を逃れたそうです。
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朝日に映えます。
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後ろの木も相当の樹齢だと思われます。
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《牛床詣所》

屋久島に現存するもう一組の仁王さんは、益救神社から山へ徒歩40分程の牛床詣所(うしどこもいしょ)にあります。
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案内板では
『屋久島は、宮之浦岳を始めとする険しい山々が多いため、古くから「山岳信仰の島」でした。
ここは、山岳信仰の重要な行事である「岳参り」の折りに、家族が山に詣でた男たちを出迎えた場所です。
女人禁制のため、岳参りに参加出来ない婦人や子どもたちは、日ごろここで遥か山奥の御岳を拝みました。
詣所は、いわば里における山岳信仰の聖地であり、詣所内には、疫病退散や大漁祈願、安全祈願などさまざまな石塔が、六十数基奉納されています。
中央にある石塔は、信仰の神である「彦火々火出見尊(山幸彦)」を表し、一般的に「一品宝珠大権現」と示すものが、「一品法寿大権現」と刻まれています。
このことは、法華宗(日蓮宗)の屋久島布教により、古来の山岳信仰から神仏混淆へ移り変わったためと考えられます。
石塔の銘文によると、幕末の天保・嘉永年間に島で疱瘡が流行したが、宮之浦村から患う者を出さなかったということに感謝し、建立されたことが読み取れます。』
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いい感じに苔むしています。廃仏毀釈を免れたようで状態はかなり良いです。
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吽形さん。
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牛床詣所をあとに、船に乗る前にもう一度益救神社に行きました。
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すると、綺麗なおべべを着たお嬢ちゃんがお母さんに手をひかれて社殿に次々と入って行くのが見えました。
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船の中のニュースで知ったのですが、鹿児島の伝統の七草参りだそうです。

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